vol.2

一橋大学のゼミナール制を中心とした少数精鋭主義の教育が、今後も続いていくための一助となれば、父の何よりの喜びだと思っております。

ご寄付者の声

匿名希望

父は、昭和35(1960)年に一橋大学を卒業し、銀行に勤めておりました。現役時代は大変忙しくしていましたので、大学時代のお仲間と再び親しくお付き合いするようになりましたのは、定年退職後のことでした。この頃にようやく私も学生時代のボート部の話などを、初めてゆっくりと聞くことができました。晩年父が病を得て集まりを欠席するようになると、皆さまからお便りをいただくようになりました。それらの返信に「君たちは、私の宝だ」と書いていたことをよく覚えております。

手術のためストレッチャーで移動する父の隣についておりました時に、父が「もしものときは大学に寄付してほしい」と、ポツリと申しました。このことが大学への寄付のきっかけでした。父は卒業後就職しましたが、状況が許せば大学に残って勉学を続けたかった思いがあったようで、それも寄付の意思につながったのだと思います。

父の闘病中に、娘が一橋大学を受験することになりました。私や弟は他大学で学びましたので、父にとって孫が母校への入学を希望したことは大変な喜びであったと思います。大学のある国立の方角を向いて孫の合格を熱心に祈願していた姿を大変よく覚えています。娘は、兼松講堂の前で学生服姿で写った在学当時の父の写真をお守りがわりに受験に臨みました。父は病状が厳しい中で気力をふりしぼるように孫娘の合格を見届け、その年の11月に他界しました。

父は終生ゼミの仲間を大切にしておりましたが、一橋大学のゼミナール制を中心とした少数精鋭主義の教育を、娘もまたしっかり受けていると感じています。入学から間もない頃、娘の課題レポートを見て驚きましたのは、1年次から毎回先生の丁寧なコメントがぎっしりと書き込まれて返されたことでした。一橋大学でゼミを中心とした少人数による丁寧な教育が今後も続いていくための一助となれば、父の何よりの喜びだと思っております。