vol.1

一橋大学で学ぶことができて本当によかった。少しでもお役に立てられれば、大きな喜びです。

紺綬褒章受章者の声

梶原 徳治さん

1957年一橋大学法学部卒、1959年一橋大学経済学部卒。梶原工業株式会社、株式会社カジワラ、株式会社カジワラキッチンサプライ・各社代表取締役会長。東京商工会議所常議員・税制委員会副委員長、公益社団法人発明協会監査役・台東区少年少女発明クラブ副会長などの公的機関等の役員も務める。2023年4月 カジワラグループ社員数315名。

私が一橋大学法学部に入学したのは、70年以上前のことです。4年生で外交官試験に合格しましたが結核が発見され身体検査で不合格となりました。療養しながら経済学部に学士入学。学長も務められた中山伊知郎先生のゼミで学びました。

経済学部卒業後は療養を続けながら、家業である食品・菓子店向けの小型機械や道具を修理・製造する梶原工業所を手伝うようになりました。夜は弁護士を目指し勉強をしていましたが、家内と知り合い結婚。彼女にしてみれば将来の弁護士と結婚したつもりだったのに、いつしか夫の私は新しい機械の開発に取り組むようになり、家内も経理を覚えて、いっしょに会社を大きくしてきました。家内が食事や生活に気を配り、世話をやいてくれたおかげで病気もすっかりよくなりました。

学友の多くが大企業で活躍する中、当時は大学出などいない職人・職工の世界で、毎日生きるために懸命に働きました。それでも正月には家内や子どもを連れて中山先生のお宅にうかがうこともありました。ゼミの仲間に町工場をやっていると話したら、工業高校の卒業生を紹介してくれたこともありました。当時、工業高校は人気で小さな工場では採用がむずかしかったのです。また公認会計士になった同期が、中小企業金融公庫の融資申請を引き受けてくれたこともあります。同期入学の高橋宏君と石原慎太郎君には多くを励まされ、最後まで交友をつづけました。

27歳から機械油にまみれて夢中で働きましたが、お蔭様で元気で今年90歳になります。一橋大学で学ぶことができて本当によかった。恩師に恵まれ、同期の友を助けたり、助けられたりができました。尾身幸次君にも協力し、また助けられ、中小企業の税制改良に貢献し、中小企業の仲間から広く感謝してもらいました。7人ほどの小さな町工場からここまでこられたのは、我が母校一橋のおかげという思いがあり、やっと余裕ができた10年ほど前に御礼の意味の寄付をしました。少しでもお役に立てられれば、大きな喜びです。