vol.3
一橋大学卒業ということで得られた信頼や、先輩・友人とのつながりに多くを助けられたとの強い思いがあってのことと思っています。大学の一助となれば、夫の喜びだと思います。
ご寄付者の声
匿名希望
夫は、1964年に一橋大学を卒業しました。夫と出会ったのは、お互い大学卒業後に進学した東京大学新聞研究所の入学試験会場です。夫が私の後ろに 座っており、「削り、持ってる?」と聞かれたのです。私は「鉛筆削りのことか」と分かり、持っていたから貸してあげましたけれど、変わった人だなと思いました。当時、夫はフランスに憧れ、フランスで小説を書くんだと言っていました。私は世界中歩き回りたいと思っていましたから、それじゃ一緒に行きましょうかということで、入学後の8月に結婚することになりました。結婚式を挙げたのは如水会館でした。
結婚からまもなく、夫の叔父が専務として勤務する会社で念願だった海外拠点を立ち上げることになり、叔父が「お前行かないか」と話を持ってきました。その年に生まれた長男も一緒に、1967年の11月にロサンゼルスに渡りました。叔父 の会社は様々な建築材を商っていましたが、アメリカに拠点をおいて何をやるかは決まっていませんでした。ロサンゼルスに着き、まず夫がしたのは、商工会議 所のようなところに行き、現地ではどんな商品が必要とされているのかの聞き取りでした。英語での折衝は大変だったと思います。英語に慣れるように、毎日テレビをじっと見ていた姿を覚えています。本社から様々な鉄関係の素材を取り寄せた結果、一番需要が多かったのがねじでした。それらをアメリカのサイズに変えたり改良を加えたところ、非常に好評で、大変成功したわけです。その後、円高・ ドル安下の為替変動による苦難の時期を台湾に事業展開することで解決し、すでに会社の単独経営者になっていましたので、2007年秋には事業を全て同業他社に売却。余生を母国で過ごすため、日本に戻ってきたのは2011年のことでした。
ロサンゼルスではある時期如水会の支部長を務めており、日本を離れても一橋大学の卒業生同志のつながりがありました。帰国後は、大学の同期会の仲間と毎年旅行にも行き、親しくお付き合いしました。夫はある時期から、大学への寄付について、たびたび話すようになりました。病を得て、指がよく動かなくなってから書いたメモにも、「一橋に寄付をしてほしい」とありました。異国の地で何もないところからはじめて事業をしていく上で、一橋大学卒業ということで得られた 信頼や、先輩・友人とのつながりに多くを助けられたとの強い思いがあってのことと思っています。生前の夫の意を汲みまして寄付をした次第です。大学の一助となれば、夫の喜びだと思います。
