vol.4

一橋を卒業して六十余年が経ち、人生の最晩年を迎えた今、母校と山中先生に恩返しができたことを嬉しく思っております。

紺綬褒章受章者の声

羽賀 昭雄さん

1961年、一橋大学社会学部を卒業後、丸紅飯田株式会社(現丸紅株式会社)に入社。76年、義父が創業した機械工具屋(現株式会 社東陽/愛知県刈谷市)に常務として入社。当時の従業員数は21名だった。以来、機械工具商として国内23カ所、海外8カ国42拠点を展開し、連結従業員数約1500名の企業に成長させる。現在は株式会社東陽の代表取締役会長。

新潟県立長岡高等学校を卒業し、一橋大学社会学部へ進学しました。一橋で学んだこと、すべてに感謝していますが、やはり一番の宝物は、山中篤太郎先生との出会いです。私は国家ごとの経済発展の差に興味を持っていたこともあり、社会科学、経済学研究の第一人者であり、学長を務められた山中先生のゼミナールに所属させていただきました。山中先生との思い出は尽きませんが、「先生とは壁みたいなものだ」とよくおっしゃっていました。「強いボールを投げた人には強く返せるが、弱いボールには弱くしか返せない。勉強をせずいい加減なことをやっている人には答えようがない」と。だから、先生にしっかりお相手いただけるよう、必死になって勉強しました。先生との時間が、楽しくて仕方なかったです。

大学卒業後は、現在の丸紅に15年間勤務したのち、オイルショックで経営危機に瀕していた義父の会社の経営を引き受けました。機械工具専門商社として、あらゆる工程のオーダーをお引き受けし、納入できる独自のビジ ネスモデルを構築し、今ではトヨタ自動車のグループ企業もお得意様です。トヨタ自動車が世界一を目指す勢いに引っ張られ、ここまでこられたと思っています。また、「一橋卒です」と言うと、仕入れ先もお客様もすごく信頼してくれるんですね。これは一橋大学の理念 でもある「Captains of Industry」を、諸先輩方が実業界で発揮し続けてくれた結果だと思います。自社の経営面でも、先輩方にずいぶん助けていただきました。

私は、一橋大学から多くの恩恵を受けたと思っています。特に山中先生は私にとって人生最大の恩師であり、先生がいらっしゃらなければ今日の私はなかったでしょう。そこで2016年、歴代学長の肖像画として図書館に掲げられていた山中先生の肖像画の修復に協力しました。その後、図書館の方々に、山中先生のご遺族からお預かりした遺稿の整理が滞っているという話をお聞きし、そちらにも寄付をさせていただきました。一橋を卒業して六十余年が経ち、人生の最晩年を迎えた今、母校と山中先生に恩返しができたことを嬉しく思っております。